2009年7月16日 (木)

さよならココログ

ようやく、自前のサーバ上に blog 環境を構築したので、そちらに移行することにした。新しい URL は以下のとおりである。
http://fugenji.org/thomas/diary/

さぁ、これで不安定で重くって余計なものの多いココログからおさらばできる。せいせいした。

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2009年7月14日 (火)

隠された臓器移植改正法の本音

まず最初に書いておかなければならないが、僕自身は臓器移植に反対しているわけではない。自分自身がドナーになることにも抵抗感はない。加えて言うならば、カトリックは臓器移植は「命を『つなぐ』行為」として認めているので、宗教的禁忌もない。その上で、あえて以下の文章を書いている……というか、書かずにはおれなかったのだ。


昨日、参議院……正確には「参議院第171回国会(常会)」……の本会議において、衆議院……正確には「衆議院第164回国会(常会)」……を6月に通過したある法案が賛成多数で可決された。世間では「改正臓器移植法案」と呼ばれているその法案は、正式には「臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案」という名称である。

この法案が如何なる経緯で参院通過に至ったかは、以下の参議院の議案情報をご参照いただきたい:
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/171/meisai/m17105164014.htm

さて……世間では、この議案に関して:

  • これで子供が国内で臓器移植を受けられるようになった
  • 欧米では当たり前である水準に、日本の法体系もようやく到達した

というように受け入れられているようである。メディアでも、ほとんどの報道において「子供」というキーワードを前面に出した記事が溢れている状態である。

おそらく、ここを読まれている方の多くが、この法改正が自分自身に対して与える影響はほとんどない、と思われていることであろう。影響として、メディアの放っているキーワード:「脳死を人の死とする」ということだけであって、それ以外には特に何も変わらない。おそらく、そう思われているに違いない、と思っているのだが、いかがだろうか。

そういう方々にはこの言葉を送ろう:

「あんたらは馬鹿や」

カチーン、とこられる方がおられるであろう。何を知ったかぶりやがって、と(逆)キレる方もおられるだろう。そういう方々こそ、この法案を通過に持ち込んだ人々の思う壺、なのである。

まず皆さんは、今回の法案を読んでおられるだろうか?おそらく読まれている方などまぁ片手で足りる程なんじゃないか、としか思えないのだが、まだ読んでおられない方々のために、ちゃんと参議院提出案の PDF ファイルにリンクを張っておくことにしよう。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/171/pdf/t051640141640.pdf

さて、子供の問題に関しては散々世間で論じられているので、ここでは触れない。興味のある方は、子供の脳死判定基準に関する歴史的経緯を含めた諸問題と、「長期脳死」というキーワードでの各事例に関して調べられればよかろう。

上記「馬鹿」な方々にここで知っておいていただきたいのは、上リンクの改正案中にある、この文言である。

臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案

臓器の移植に関する法律(平成九年法律第百四号)の一部を次のように改正する。

第六条第一項を次のように改める。

医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。

二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

大人(と社会でみなされる人々……そのオツムの程度は関係なく……)にも大きく関わる、メディアも喧伝している「脳死を人の死とする」というキーワードの論拠となるのは、上記引用部の:

死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)

の太字の部分である。何のことはない。さぞかっちりと「脳死は人の死だ」とか言っているかのようだけれど、条文で書いてあるのはこれだけのことで、この十文字ちょっとで「脳死は人の死だ」と規定されるわけである。こういうあっさりした規定なんだ、ということ、皆さんは認識されていたであろうか。

大人に大きく関わるのはここだけではない。ややこしいかもしれないが、まずは上記引用部の「一」「二」をよーく読んでいただきたい。

さて。「ドナーカード」というのは皆さんご存知だと思うのだが、この文言中で「ドナーカード」を表しているものが「死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合」の、その「書面」であることはお分かりだと思う。つまり「一」を噛み砕いて書くと、

ドナーカード持ってる人は、遺族がいなかったら有無を言わさずドナーになってもらいまっせ。遺族がおっても、「この人カードもってまっせ」言うて、ごねへんかったら問題なしや。

ということである。では、「二」はどうなのだろうか。

ここで我々が注意しなければならないのは、こういう法律の条文では、どこからどこまでが「場合」というのに入るのか、ということで、世間でフツーに文字をなんとなく読まれている方々は、多くの場合、このセグメントができない。そういう方々が誤解する典型がこの「二」のような類の文言なのだが、これをちゃんとセグメントすると、こんな感じになる。

「『死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合』」以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

もう少し分かりやすくすると、「死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合」というのは、いわゆるドナーカードを持っている場合である。これは「一」で規定しているので、「二」で何か規定する対象には入りませんよ、ということを示すためにわざわざ書かれているわけだ。

では、「当該意思がないことを表示している場合」ってのは何なんだ?そう思う方は、世間で使われているドナーカードをよーく見ていただきたい。参考までに、(社) 日本臓器移植ネットワークが提供しているドナーカードにリンクを張っておこう:
http://www.jotnw.or.jp/donation/pdf/card_8.pdf

さて、このカードの裏面に「3.私は、臓器を提供しません。」というのがあるのがお分かりだろうか。現時点では、公式に提供されているもので「当該意思がないことを表示」するためには、ドナーカードのこの3.を丸で囲んだものを常時携帯しておかなければならないわけだ。つまり「二」を噛み砕いて書くと、

ドナーカード持っとる人は「一」で定めてるんでまぁええわ。ドナー拒否を示すもの持っとったら、まぁしゃあない(持っとらんかったら、いくら生前にホタエとっても関係あらへんけどな、ケケケ)。でもな、それ以外の人は、家族が書類にサインしたらドナーになってもらいまっせ。

と、こういうことなのである。

そもそもドナーカードに、どうしてドナーになることを拒絶するような選択肢が用意されているのか。それは、勿論今回のような法改正の可能性を考慮しているわけだけど、彼らの目標になっている「推定同意」という概念の存在が無視できないであろう。

「生前同意 (informed consent)」や「近親者同意 (next-of-kin's decision)」としばしば対になって、この「推定同意 (presumed consent)」という概念は登場する。「生前同意」は、いわゆるドナーカードを本人が(3.以外の欄に)記入して携帯している場合などを指す。「推定同意」(法学の分野では「推定的同意」と称される……この場合は、正確には「利益放棄類型の推定的同意」ということになるだろう)というのは、この場合において簡単に言うならば、

拒否の意思表示が明示されていない場合は(対象者が他者への善意のもとに意思決定するであろう、という「推定」に従って)同意しているものとみなす

ということである。この概念に従うならば、そもそもドナーカードというものの存在意義がなくなる。必要なのは「拒否の意思表示の明示」の手段であって、実際には(ドナーカードならぬ)アンチドナーカードというのを作ったり、拒否意思の有無を公的機関に登録する制度を設けたりする必要があるわけだが、この概念を忠実に解釈するなら、カードや拒否意思登録のない者は問答無用でドナーになる、ということになるわけだ。

宗教的倫理観が社会の背景として存在する欧米などの場合を考えると、このような概念が比較的容易に受容されるような気がしなくもない。実際、脳死臓器移植においてこの「推定同意」を法体系に反映させている国は複数存在する(スペイン、ベルギー、フランス、デンマーク、スウェーデン、オーストリア、スイス、イスラエル)。

ところが、これらの国々で実際に推定同意が厳密に適用されているか?というと、実はそうではない。ある国では、拒否意思の有無を公的機関に登録する制度が設けられているけれど、意思が未登録の場合にはドナーにしないことになっていたり、またある国では家族の拒否権が留保されていたりする。そもそも、推定同意を適用したことによって移植件数が増加した国はオーストリアやスペインなどのわずかな国に限定されているし、スペインの場合は、推定同意の導入というよりは移植コーディネーターのシステムに起因するところが大きいとされているので、推定同意が脳死移植を活性化しない、という結論は既に出ているに等しい状態なのである。

更に、デンマーク倫理委員会によるレポート (Organ donation. Informed or presumed consent? Copenhagen: Danish Council of Ethics, 1999. [日本語訳]) によると、この委員会では推定同意の導入を勧めないという点で全会一致をみている(その論拠は上リンク先をぜひお読みいただきたい)。そういう経緯があるのである。

そもそも、世界最大の移植大国である、アメリカ、カナダ、オーストラリアですら、推定同意の概念は法体系に適用されていない。あくまで生前同意が前提であって、生前の意志が明確でない場合に家族の意思が適用される、というシステムである。

……うだうだと書いてきたが、何を言いたいのか、というと、先にも引用した、いわゆる改正臓器移植法の第六条第一項一号・二号:

一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。

二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

が、実に狡猾に作られているものだ、ということである。上記一号では、ドナーカードによる生前同意を尊重しているように主張しているにも関わらず、二号の方では、臓器提供の意思がない人はその旨書面により常に明示できるように(口頭で誰かに話しているだけでは駄目である……それは「表示」とはいわない)していなければ「生前同意」の意思は無視され、家族の書面による承認( = サインや捺印だけで済むように整えられるに違いない)が掠め取られれば脳死判定→ドナー、という経路を辿る、つまり、二号で限定的な「推定同意」によるドナーが発生する可能性が担保され、一号がそれを巧みに隠蔽する構造なっているのである。

そして、脳死移植の開始当初には何の意味もなかったはずの、ドナーカードの 3.の項目。これはあたかも今回の法改正を前提としているように見えるし、ドナーカードにアンチドナーカードとしての機能を持たせることで、A案通過後の「生前同意」の権利を保証するアンチドナーカードの存在、そしてその携帯の重要性を見えにくくさせているのではないか、と邪推したくなる。これらの問題に関して、メディアは不思議なほどにちゃんと説明しない。


家族が脳死状態になったと告げられ、医師がこう切り出す。

「ぜひ移植のための判定に協力していただきたいんです。あなたがこの書類にサインして頂きさえすれば、心臓や肝臓の疾患で死ぬのを待つ人、角膜のせいで目が見えない人、腎臓の疾患で一日おきに透析を受けている人が確実に救われるんです。苦しんでいるそういう人にも、あなたと同じような家族がいるんです。どうか、サインして、頂けないでしょうか?」

そして、署名欄にサインさえすればいいような書類が突きつけられる。いや、家族にだって、万に一つの可能性があるかもしれない。そもそも家族は臓器移植に反対していたじゃないか。そう迷うあなたに、医師はこう言い足す。

「あなたがサインしてくれないと、明日、いや、今日にも命を落とす人が、今現在、確実に存在しているんです。どうか、サインして、頂けないでしょうか?」

家族は人工呼吸器につながれ、ガラスの箱のような部屋の向こうで横たわっている。あなたは人生の同行者が失われる過程にあって、途方に暮れている。そんなときに、こんな風に書類を突きつけられて、それでもあなたはノーと言えるだろうか?

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2009年7月 5日 (日)

ペーパーテストクソッタレ(後編)

さて、英語のこんな問題の話であった。

括弧の中に適切な語句を入れなさい。
When I (        ) the music, I'm always tugged by memories of you.

ここをお読みの方は結構英語を使う方が多いようなのだけど、特に会話なんかではこの問題に関わることが重要になってくる。それは、日本語のある動詞に対応した英語の表現のバリエーションの中での「ニュアンスの違い」というものを理解しているか、ということである。

上の問を見ると、「ああどうもここは『音楽を聞く』ということなんだろうな」ということが想像できるだろう。いわゆる優等生は、ここで、「音楽を聞く」ときの「聞く」は listen to ... だ、と何かに書いてあったのを思い出して、こう回答するのだろう。

さて、英語のこんな問題の話であった。

When I listen to the music, I'm always tugged by memories of you.

なるほど。これは確かに英語としては「正しい」。日本語に置き換えると、

その曲を聞くと、私はいつもあなたの思い出に胸が締め付けられる思いがする。

ってなところだろうか。うん、正しい。

ただし、だ。確かに教科書や参考書には、「音楽を聞く=listen to the music」と書いてあるけれど、本当にいつでもそうなのだろうか。これは唯一無二の一対一対応なのだろうか。

もちろん、英語という言語の表現はそれほど貧困ではない。上の問にこう答えたらどうだろうか。

When I hear the music, I'm always tugged by memories of you.

なんだか、こう書いた時点で、したり顔でどうのこうの言う人が現れそうだ。しかし、これも実は正解なのである。訳は、

その曲が聞こえてくると、私はいつもあなたの思い出に胸が締め付けられる思いがする。

ってなところだろうか。

では、listen to the music と hear the music の違いは何なのだろうか?あえてこの二者の違いを訳として表現すると、前者は「(本人の意思・行動の下で)耳を傾ける」、後者は「(本人の意思・行動と関係ないところから)聞こえてくる」という感じである。要するに、これらの表現は、主体の積極性の有無によって明確に区別されるべきものなのである。

最近、英語などでの聞き取りテストのことを「ヒアリングテスト」と言わずに「リスニングテスト」と言うようになっているが、上の判断基準から見ると、この変化は英語的には「正しい」。テストの設問を音で聞くのは、「本人の意思・行動」としての積極性を前提としているからだ。

しかし、「音楽を耳にする」というだけだったら、そこに「本人の意思・行動」としての積極性があることが要求されるのだろうか?ちょっとシチュエーションを考えてみよう。例えば、

昔、熱い熱い恋をしていて、それが実らなかった。そのとき、いつもその恋人と聴いていた音楽があった。

というのを前提にしてみようか。そうなると、listen to の場合だと、おそらくこの文の主格たる人が、

その思い出の曲のレコードを持っていたりして、そのレコードをたまたま取り出して聴いている場面

なんてのが想像できる。そんなときならば、確かに listen to でなければ、レコードを自ら取り出してきたその行動や意思が伝わらないわけだ。

では、この文の主格たる人が、

街を歩いていて、たまたま何処かしらからかその曲が聞こえてくる場面

だったらどうだろう。このときは、たまたま偶然に(そこに「本人の意思・行動」としての積極性なしに)その曲が聞こえてくるわけだから、listen to はむしろ不適であって、hear の方がよりその状況を的確に表していることになる。

だから、上問の答はひとつではない。もし括弧内に hear と書いた生徒の答案にバツをつける英語教師がいたとしたら、その人は教師としての資質が欠けている。たとえ教師の想定外の答が出てきたとしても、教師はその想定外の答の妥当性を検討し、その正誤を判定しなければならないのである。それができない人は、そもそも教師などという仕事をしてはいけないのである。だから、

  • 上問の括弧の中には何が入るのか。
  • この問題の「質」はどうなのか。

の答は、

  • 少なくとも、単一の答が入るとは限らない。
  • 答の多様性を加味しているなら良問、偏狭な知識による単一解で別解を切り捨てるならばひどい悪問

ということになるであろう……などという話が、最近すっと通じなくなっているこの現状が、僕にはどうにも恐ろしいのであった。

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2009年7月 4日 (土)

ペーパーテストクソッタレ(前編)

僕は一応世間的には高学歴ということになるのだろうけれど、実はペーパーテストというのが好きではない。勿論、学問に対する習熟度をはかるという目的上、その存在までは否定しないけれど、ペーパーテストで出題者の望む回答を記入することが至上命題になってしまう、というのは、学問に関係する者の端くれとしては何とも味気ない。

そもそも、高等学校までのいわゆる「ガッコウのセンセイ」という方々の中には、教育に携わるだけの見識を本当に持ち合わせているのか?と思うような輩がそこここに存在する。教師を選択する自由のある大学とは違い、この手合いの授業を受け、テストで点を取るということで学習するのだとしたら、あまりにひどいではないか……と思わせるような、そんな輩だ。

かつて、遠藤周作は、自分の著作がペーパーテストにどのように使われているのかを調べたことがあった。彼は、自分の著作の一部分を抜粋して「この部分における作者の意図を述べよ」という問題に激怒して、こうのたまったそうである。

一部分だけ抜粋して、作者の意図もへったくれもあるか!これは文学に対する最大の冒涜だ

むべなるかな、狐狸庵先生……という言葉しか出てこない。まあ、言葉に関するペーパーテストってのは、この程度の代物であることは珍しくない。

僕も、英語の場合で、こんな問題に出くわしたことがある。

括弧の中に適切な語句を入れなさい。
When I (        ) the music, I'm always tugged by memories of you.

おいおい……と、同業者同士で笑い話にしていたのだけど、最近、これが笑い話だと分からない人々が多くなってしまい、実のところ困惑している。

そこで、皆さんにも考えていただきたい。

  • 上問の括弧の中には何が入るのか。
  • この問題の「質」はどうなのか。

(後編につづく)

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2009年6月26日 (金)

Do you remember DYMO ?

皆さん、DYMO というのを覚えておられるだろうか?

最近はテプラなどにおされて姿を見ることも少なくなってしまったが、変形すると色が白く変わる樹脂テープに、活字のような凸字を押し付けることで文字を刻つものである。

最近、エフェクターに字を入れる必要に迫られて、テプラを購入することも考えたのだが、Uに、

「DYMO ってまだ出てるみたいだよ」

と教えられ、調べてみると、去年の末に最新型がリリースされたところだという。虎ノ門の某文具卸店で安く売っているのを発見したので、購入してしまった。

Dymo
こんな感じである。今まで数万円の商品でしか使えなかった 6 mm 幅のテープがこの機種では使える。なかなかいい感じである。

早速、全ての自作エフェクターに字を入れた。下はその一例である。
Octavia Small_stone
Ps2

最後のは今日完成した特殊電源。何の為なのかは……分かる人には分かることでしょう……

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ある人格障害者とヘタレ教会の記録(後編)

復活祭の日曜日がやってきた。

僕とUは、前夜遅くまで、今後の対応に関して協議した。何せ、日曜のパーティーには温かい飲み物も出てくるし、厨房に行けば刃物はいくらでもある。カトリック的倫理観からすれば、「まさか復活祭にそんなことを」というようなことが、現実に復活徹夜祭に、しかもその日に受洗して2時間も経たない人物の手によって現実に行われたのだから、いくら注意してもし過ぎるということはない。

とにかく、復活祭のミサには出席することにした。ただし、パーティーの会場である建物へ移動する際には極力Qへの接近を避けるように、そしてNさんと僕がボディーガードとしてUの両サイドにつくようにした。

パーティーが始まって、各受洗者の紹介が行われていく。昨日の今日で、あるいは顔を出さないのかと思っていたが、Qは何事もなかったかのように顔を出し、にこやかに皆に自己紹介をしている。十数時間前とのあまりのギャップに、僕は背筋が寒くなった。

皆が歓談に入ったとき、Qの代母がQに何やら声をかけ、Qを伴って僕たちのところに近づいてきた。Qの代母は、

「あの、何か昨日大変失礼なことをしたとのことで、彼女が謝りたいと……」

と言うと、何やらごにょごにょと呟くQに無理矢理頭を下げさせた。結局Q自身の口からも、代母の口からも、謝罪らしい謝罪は一切なかった。ただ、謝罪のポーズをして、謝罪の意思も示さないQが、物理的に頭を下げた。それだけのことであった。

その後、古参信者のMさんらから聞いた話に、僕は耳を疑った。Qの周囲の人々は、Qのしたことに関しては(まあ彼ら/彼女らの理解の範疇を大きく超えることだとは思うけれど)もはや何も物申さず、その代わりに、

なぜUは、あんなことをされても黙って何も反抗しなかったのか?

という話を皆でしているのだ、という。Uを経由してそのことを最初に聞かされたときに、僕は思わず声を荒げた。

「ということは、何か?黙って何も反抗しなかったのを見聞きして、そうされても仕方がないことを何かしたんじゃないか、と邪推したということ?」
「……そうなんじゃない」
「つまり、アンタがQに何か後ろ暗いことがあったから、Qがあんな暴挙に出ても、黙ってそれを甘受した、と。つまり非はアンタにある。そう理解しているのか?あの連中は」
「……今は、きっとそうなのかもしれない」

とUは言い、こう続けた。

「でも、こちらは何も悪いことをしているわけでもないし、それを知っている人の方が多いでしょう。それに、彼女はこれからも、きっとこちらにしたのと大同小異の問題行動を、きっと今の取り巻きの人達の誰かにやらかすだろうから」
「……だから、自分に非がないということは自ずと証明される、と?」
「うん」

僕だってそう考えたい。しかし、あの唾棄すべきナチス・ドイツの宣伝大臣ゲッベルズは、かつてこう言っているのだ:

嘘も百遍繰り返したら真実になる

これは早々に、今回の件に関して、何がどうだったのかをつまびらかにしなければならないだろう。僕はそうUを諭した。

「いや……もう正直、Qのことを思い出すのも厭だし、それにさ」

と、Uは話を続けた。

「何かね、Qはシスターになるんだって」
「はぁ?」

何の冗談を言ってるんだ?とUに言うと、Uは笑いながら、

「いや、知ってるよ。シスターになるなんてそんな簡単なことじゃない、って。でもQがそう言ってるんだって、さ」

……まあ、一般常識から言ったら、受洗後2時間にして、同じ共同体の信徒に烏龍茶を頭からかけるような人物が聖職者になるなど、冗談にすらなりそうにない。そもそもQは堅信も済ませていないし、いくら何でも、こんな所業を為した者に、2か月もしないうちに受堅させるなど、どう考えても正気の沙汰ではない。いくらこの教会でも、そんなことは許さないだろう。

いや、そもそも、シスターになる、などと、そう簡単に言える時点で、「シスターになる」ということの意味が分かっていない証拠である。そもそもシスターになる(終生誓願)ためには、受洗後数年の信者生活の後、修道志願者として(基本的にシスターと同じで、その上に更に教理等への理解を深めるための修練期を含む)数年間の共同生活を行う。実際のプロセスの一例は、

http://www.m-caritas.jp/04mebae/index.html

をご参照いただければお分かりかと思うが、終生誓願までの道のりは決して簡単なものではない。常に各ステップで、一生を神に捧げることの意味を問われ、そこにぶれがある者はそう簡単に次のステップに進むことも、そして最終的に「貞潔」「清貧」「従順」を誓い、召命を受けることもできない。

そして、致命的な問題として、どの修道会でも、修道者志願に年齢制限を設けている、ということである。俗世での経験は修道生活にプラスになる、ということから、仕事などの経験があることは決して問題にはならないが、大体どこの修道会でも30代中盤が志願の上限である。Qは僕と同じで30代後半に入っているから、そもそも受け入れる修道会がないのである。

Uにそういうことを話すと、

「いや、知ってるって。でも、本人はそう言ってるんだって。しかも、もうどこぞの修道院に行ってる、って話だよ」
「え?どんなコネで?」

Uが聞いた話では、大阪のあいりん地区でのボランティアに関係している女性にQが接近し、その女性があいりん地区で活動を行っている修道会にQを紹介したのだ、という。

「……その人、信者なの?」
「違うんだって」

無責任な人もいたものである。


復活祭の次の週から、堅信の準備講座が始まった。この教会では、毎年、聖霊降臨祭のときに堅信式を行うので、2か月も経たない受洗者が呆気なく堅信を受けてしまう。そもそも堅信というのは、人が一生を信仰に捧げるという意味を持つのに、これはちょっとおかしいんじゃないの?と、以前教会の関係者に聞いたところが、

「厳しくすると誰も受堅しなくなるので」

とのことだった。教会の言い分としては、受堅後の信者としての在り様はあくまで受堅者自身の問題なので、さっさと受堅してもらった方がいいんだ、とのことであった。通過儀礼としても、えらく軽い堅信だなあ、と思ったものである。

で、修道生活に入るというからには、まさかQも受堅するのか、と思っていたのだが、受洗後ぱたりと教会に姿を見せなくなった。Uが言うには、既に大阪の修道院に身を寄せている、とのことだった。

「……じゃあ、向こうで受堅するってこと?」
「いや、でも転出届は出ていないみたいだね」
「まあ、堅信は洗礼と違って司教じゃないとできないから、転出しなくとも受堅はできるはずだよ。ということは……玉造で受堅する?でも、あのQだぜ?」

とUに問うと、Uは不機嫌そうな声で、

「だから、もうこの件は思い出したくもないんだって。こちらに顔を出さないなら、そういうことなんじゃないの?」
「いや……でも、玉造教会が、あのQにそんな簡単に受堅させるとは思えないけれど」
「だから、もう知らない、って。きっともうこっちに帰ってこないんじゃないの?」

Uは声を荒げ、「ああ、こんな話はやめ、やめ」とため息をついた。

僕は、自分ひとりで問題を整理することにした。まず、Qが修道者志願することはおそらく無理だろう。ということは、一生志願者扱いで修道院に住み込む(なんてことができるかどうかも判然としないのだが)のか、あるいは例によって嘘に包まれて結局こちらに帰ってくるのか、だ。いや、それ以前に堅信のためにこちらに帰ってくる可能性もある(なにせこの教会の堅信はぶっ通しだから)

僕はUに言った。

「やはり、Qは今後教会にまた姿を現すよ。そのとき、第二、第三の被害者が出ないとも限らない。だから……Uさんよ、アンタは自分が何をして、何をされたのか、できるだけ中立の立場から、時系列ではっきりさせた資料を作って、関係者に渡しておいた方がいいぞ」

最初はUも渋っていたが、最終的には僕の提案に同意した。Uの周囲であった事件の一覧と、パーソナリティ障害に関する web などで公開されている説明のコピーをまとめた冊子を作り、

  • Qに要理教育を行った神父様
  • Qの代母
  • Qを大阪の修道院に紹介した人物
  • 古参信者Mさん

に渡すことになった。

Uは、実に分かりやすい資料を作った。外回りの合間に、各方面にその資料を託し、関係者に行き渡るように依頼し、配布した人は皆資料に目を通すとのことだ、と僕に説明した。まあ、打てる手は打ったし、後は彼らの判断することだ。そう思うしかなかった。

そして、聖霊降臨祭の前の週に入った。結局、Qは堅信準備講座に一度も顔を出さなかったとのことで、普通に考えたら、教会も、受洗時の代母も、事の経緯が分かっているのだから、さすがに今回は安易に受堅させることもないだろう……と、普通なら安心するところである。

しかし、洗礼のときにあんなことがあっても、本人にはおとがめもなければ、メンタルな問題としての処理がなされたという話もない。一度あることは二度あったって不思議ではない……そして、事実、その通りだったのである。

Uからの電話で、僕はこの事実を知った。

「…… Thomas の言ってた通りになっちゃったみたいだよ」
「ということは、何、受堅させるのかいな?あの教会で」
「らしいよ。なんでも、今週にいきなり教会にやってきて……」

Qは、受洗時の要理教育を担当した神父様に、こうのたもうたらしい。

私は大阪の修道院にずっと居ることができるようになった。ついては、修道院に居るために必要なので、堅信を受けたい。

「……で、それで『はいオッケー』なの?」
「らしいよ」
「だって、一度も堅信講座に顔も出さなかったんだろ?」
「あのね……」

Uは、少し苛立った風にこう言葉を続けた。

「要するに、大阪の修道院は、Qが言うには、Qがずっといてもいい、と言っているんだって。本当はどうか分からないし、私は確かめる気もないけれど、教会や関係者も皆、そのQの言うことをそのまま受けて、堅信を受けさせて、さっさと大阪に戻ってもらおう……そういうことなんだって」

呆れて開いた口が塞がらないとは、こういうことを言うのかもしれない。要するに、やるものはやるからさっさとうち(教会)と関係ないところに行って頂戴、後は知りません……そういうことだとしか思えない。

「それは……先方の修道院にも、Q自身にも、誰のためにもならないじゃないか」
「そう」
「……ったく、だから愛知県ってなぁ厭なんだよ。横並び・事なかれ・有耶無耶……こういうのが大好きだもんな。で、誰も責任を負おうとしない

はいはい……と、Uは聞き飽きたとばかりに僕の愚痴を止めてこう続けた。

「……ところでさ。今度の堅信のQの代母、誰だと思う?」
「ん……事情を知らない誰かさんに押し付けたとか?」
「まさか。洗礼のときのあの代母さんだよ」

要するに、こういうことだ。洗礼のときにトラブルがはじめて発生して、Qの人となりが初めて教会の関係者の知るところとなった。だから、同じメンツでさっさと堅信を受けさせて、さっさと大阪に行ってもらえば、あとは知らん顔で責任の所在も有耶無耶……まさに、毒を食らわば皿まで、ってところか。

「呆れたな」
「まあ……教会は、罪人の集まりだからね」


そして聖霊降臨祭の日。Qはしれっと他の受堅者に混じって受堅し、その後のパーティーで、衆人環視の中、

「私は大阪の修道院に入って信仰の生活をおくります」

と、ぬけぬけと言ってのけたのである。事情を知っているのかどうか知らないけれど、周囲の人々の一部は、

「まぁ!」
「すばらしいわ!」

と、感嘆の声まであげていた。僕は胸が悪くなって、Uを引っ張って早々にパーティーの席を去ったのだった。


結局、

  • Qの人間性をはからずに受洗させた
  • 受洗後のQの振る舞い、しかも他者に危害を加えたことに関しては、皆まるでなかったことのように扱っている
  • Qの人間性をはからずに安易に修道院に紹介した
  • 人間性が露呈しているにも関わらず、教会から有耶無耶のうちにQを排除するために安易にQに受堅させた

これらの責任は、誰も何もとっていないのである。

加えて言おう。事に関係した人、特に、

  • Qの代母
  • Qを大阪の修道院に紹介した人
  • Qの受堅を承認した司祭

……彼らは、今回の事件があってから、Uに対して謝罪はおろか、渡した資料に対するコメント等も含めて、一切の能動的発言を行っていない。Uや僕を見かけると、挨拶だけして逃げるように立ち去るだけだ。

長くなったけれど、これが、ある人格障害者とヘタレ教会に関する記録である。

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2009年6月19日 (金)

ある人格障害者とヘタレ教会の記録(中編4)

復活徹夜祭のミサが始まった。洗礼式をはさむだけではなく、イエスの死と復活に関わる複数の聖書の引用が朗読されるので、このミサは通常の倍程の時間を要した。

ミサ終了後、僕とU、そしてカウンセラーのNさんは、神父様の部屋に来ていた。持ち寄りパーティーの企画者であるS君は、簡単なパーティーサンドが作れるように、パンやパテなどを用意してくれていて、ペットボトルの烏龍茶なども置かれていた。僕は雑事の関係で持ち寄るはずのものをほとんど持ってこられなかったので、簡素なパーティーの様相になってしまっていて、少々恐縮していた。

ところが、おかしなことに、後から後から差し入れが持ち込まれてくる。テイクアウトのパーティーセット等がテーブルに載せられ、誰が持ってきてくれたのか、と見てみると、どうも知らない顔の人達だ。いや、古参の信者達もいるのだが、僕の知らない人も結構いる。

よくよく見てみると、胸にリボンとメダイを付けている人がいる。あれ?これは今日受洗した人達じゃないか?

「S君」

僕は企画者に声をかけた。

「今回は、他の人達も呼んだの?」
「あー、それなんだけどさ……」

S君は、苦笑いしながら言葉をつなげた。

「つい何日か前にさ、いきなりQさんから『パーティーは遠慮して欲しい』ってメールが着てね」
「?なんだ、それぁ?」
「いやね、受洗して、導いて下さった神父様と過ごす貴重な時間の邪魔をするな、って言うんだ」
「はあ。でも、S君の方が先にパーティーの話をして、神父様もそれで了承したんだろ?」
「うん。でもさ……神父様も『パーティーなら、人数が多い方が楽しいだろうし』って」

……厭な予感が当たってしまった。要するに、Qは取り巻きを連れ込んで、このパーティーを乗っ取ろう、というつもりなのだろう。祝われるのは自分達だから、自分達がここに来ることこそ正当なのだ、と、まぁそう思っているのだろう(本当は日曜に、教会主催の大規模なパーティーがあるのに)。

厄介なことになったなぁ、と思った。と、そこに、パーティーセットを持ち込んだ初老の夫婦が僕のところに来て、挨拶をした。

「今日はどうも有難うございます。私達、Qの叔父と叔母でして……」

ん?ということは……と、入口に目をやると、既にQが着ていた。あ゛あ゛あ゛、予想通りになってしまったじゃないか。

僕も、Qから見たら「敵」ということにされている(彼女の過ちを指摘したからだろうか)そうなので、僕は努めてQから距離を取るようにした。Uの方も心配ではあったが、この時点では、後に何が起こるかは全く予想ができていなかった。

当初の予定の何倍かの人で、神父様の居室が鮨詰めに近い状態になってきたときだった。僕は丁度、神父様の差し入れのワインを抜栓して、S君と飲み始めたところだったのだが、

「きゃああああ!」

という悲鳴が、僕の背後であがったのだ。

何事かと思い、僕は振り向いた。そこには、頭から濡れ鼠で、床に雫を滴らせているUの姿があった。

このとき何が起こったのか。整理して書くと、こんな感じだ。Uは、受洗者が集まっているところから距離を置いて、飲み食いをしていたのだが、そこにQが近付いてきた。Qは、自分の取り巻きになっている人々に挨拶をしながら、Uの方に近付いてきたらしい。具合の悪いことに、神父様は所用で席を外していた。

Qは、烏龍茶の入ったコップを持っていた。そのコップを握りつぶさんばかりに、QはUに食ってかかったらしい。曰く:

「あんたのせいで、私は信仰において躓きそうになった。今日、受洗できなかったかもしれなかったんだ!」

そして、Qは、手にしていたコップの中身をUの頭頂からぶちまけ、こう言ったというのだ。

「これがあんたへの洗礼だ!」

……ちなみに、この時点で、Qが受洗してから2時間も経過していなかったはずである。Qにとっての洗礼なるものの意味、その理解度の低さ(というか、なさ)に関しては、もはやこれ以上書くまでもあるまい。

しかし、Uはこんなときでもクレバーだった。Uは、表情ひとつ変えずに、何もQに言葉をかけることなく、ハンカチを取り出して、頭からずぶ濡れになったのを拭き取り始めたのである。これは、いわゆる境界例の人に何事かされたときの対応としては、ベストと言っていいだろう。

さすがに古参信者の人達も、これには黙っていなかった。普段、笑顔以外見たことのないご婦人が、Qの腕を押さえつけてこう言った。

「あなた!洗礼受けた人が、他の人に洗礼だとか言ってお茶かけるの?そんなこと、洗礼受けた人だったらできないはずだよね?違うの?」

この後のQの反応も、予想通り。ただただ怒られた子供のように泣いて、自分が如何にUに理不尽なことをされたか……話そうとするのだが、なにせUはこの何か月かQとの接触を断っている。理不尽だと主張するネタもありゃしない。ただただ「自分は傷つけられたんだ、被害者なんだ」と泣き喚くだけ。

……正直、こういう展開の可能性を予想していなかったわけではない。しかし、最悪の場合にそんな可能性がゼロではないだろう、位に考えていたし、まさか受洗後2時間にしてこんな行為に及ぶなどとは考えもしなかった。しかし、いわゆる境界例の範疇であれば、このようなことの起きる危険性は、考慮しておかなければならなかった。

QがUに近づかないよう、周囲の人々はQを建物の端まで連れて行き、Qの論理不明瞭な訴えを聞いていたらしい。しかし、そのときには、この問題に関して相談していたMさんなどの古参信者も同席していたので、そもそもQの主張がおかしいのだ、というのは、Qの周囲の人々は皆分かっていたようだった。

僕はUにかけられたお茶を拭いながら、ああ、これが冷たい烏龍茶でよかった、と、胸を撫で下ろしていた。男手で用意したパーティーだったので、熱い飲み物は用意していなかったし、僕もワインを飲むときにいつも持参するソムリエナイフを持ってきていなかった。Uの頭からかけられたものが、もし熱いお茶やコーヒーだったら……もし僕がソムリエナイフを持参していて、テーブルの上に置きっ放しにしていたのをQが手に取っていたならば……考えただけで、胸がむかむかする思いだった。

古参信者のMさんが戻ってきて、部屋の中の人々にこう告げた。

「すみません。この建物、今日は施錠しないといけないので、あと20分以内にこの部屋を完全に空けなければなりません。少し早いですけれど、この辺でお開きということで……明日は教会の方のパーティーもありますから」

本当のところ、神父様が鍵を持っているので、この建物はいつまで居ても問題はないはずだった。つまり、Mさんは機転をきかせてくれて、この禍々しいパーティーをさっさと切り上げさせてしまおう、と考えたに違いない。ここはMさんに乗っかっておくのが一番安全そうである。

僕はS君と片付けを始めた。皆、ぼちぼちと帰っていったのだが、驚くべきことに、多くの人達が、一体何があったのか、どうしてQが泣き、Uがずぶ濡れになっているのか、分からないままだった、ということである。いや、皆、知りたくなかったのだろう、と、僕には思えた。Qの叔父叔母夫婦も、まるで何が起きたのか分からない、という態で、不燃物の処理は~、などと言いつつ、パーティーセットのトレイを手に右往左往するばかりだった。

その後の安全も保証されていないので、僕はNさんと一緒にUを家まで送っていった。僕はNさんと二人、

「……いやあ、あまりに教科書通りというか」
「……そうねぇ。でも、まさかねぇ……ううん、こういうものなのよ、境界例って」

等と話していたが、Uは、とりあえず怪我がなかったことと、今後のこれ以上の禍根を生まずに済ませたことで、少しは安心しているようだった。

僕はもう30年以上カトリックをしているけれど、こんな洗礼も、こんな復活徹夜祭も、今まで経験したことがなかった。勿論、できれば今後二度とこんな経験はしたくない。今でも心からそう祈っている。
(つづく)

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ある人格障害者とヘタレ教会の記録(中編3)

春が近付いてきた。僕は何度かUに警告をしたのだが、UとしてはQの件は思い出すのも厭だ、と思っていたようだ。しかし、そこに危険は確実に内在している。僕はそう確信していた。

何度目かの警告のとき、Uはこう言った。

「面倒だなぁ……でも、まあ一応Nさんに聞いてみる」

Nさんというのは、とあるきっかけでUが知己を得た人なのだが、カウンセリングの資格を持っている。もともとは動物の保護活動を行っていたのだが、そういう保護活動に集まってくる人の中には少なからず精神的な問題を抱えている人がいるそうで、その関係でカウンセリングの資格を取ったのだという。僕もUを通じてNさんとは面識があったし、そのカウンセリングの流派も信頼の置けるものだったので、僕はUに、とにかく今Qに対して持ってしまっている感情を可能な限り排除した上で、いつどんなことがあったのか、という情報を整理して、Nさんの意見を聞くようにアドバイスした。

そして、ある夜。Uから電話がかかってきた。

「例の件だけど」
「Nさんの見解は?」

Uはため息をつくと、

「同じ。人格障害の可能性が高いって。Qの生い立ちや現状から考えると、Qの精神世界は丁度第一次反抗期の前位で止まっているんだろう、って」

第一次反抗期の前、というと、いわゆるわがまま盛りの時期である。子供が理不尽な問題行動(お膳をひっくり返すとか、手に持った食器を放り出すとか)を起こし、母親がそれに(「やれやれ……」と思いつつも)全面肯定的な愛を以て対する、そんな時期である。要するに、無条件の母の慈愛というものを知らずに、Qは大人になってしまったのだろう、というわけだ。

「うーん……そうなると、昔で言うところの、典型的な『境界例』の可能性が高い」
「そうそう。Nさんもそう言ってた」

となると、これはやっかいである。要するに、彼女は子供の持つ、母の愛の受け口が肥大した心のままで大人になっているわけで、これは大人が社会で他者との関係性を維持する上では、いわば「歪んだ」心、ということになる。歪んでいる、つまり愛の受け口が肥大しているから、他者から「無条件の愛」を得られる程の(大人同士では考えられない程の)独占的距離にあることを求め、それが受容されない場合には子供が駄々をこねるが如く攻撃する。まさに「敵か味方か」の二元論的な人間関係しか持てないわけだ。

しかも、Qはこの二十年近くの時間を、いわゆる水商売の世界で生きてきた。女性の水商売、というと、客との「ただの客以上恋人未満」的な距離をコントロールする術を求められるわけで、少なくともその術(つまり関係性のコントロール)に長けているということになる。これはまさに厄介という他はない。

「……で、Nさんはどう対処しろと?」
「まず、距離を取れ、と。そして、感情的な言葉や態度を向けないように、だって」
「もしそれを向けたら、極端な話、何をされるか分からないからね。気をつけるように」
「……でも、もう、こちらとしては、Qに関することを思い出すだけでも厭なのね。だから、もうあまりこの話はしたくない」

まあそりゃしたくないだろう。でも最初に距離を詰めてしまったのはUにも一因はあるわけで、その点からも、とにかく注意するように、口を酸っぱくして僕はUに警告を繰り返した。Uの方も、同じ地区会の古参信者であるMさんと、Qの要理教育を担当している神父様に事情を説明した上で、Qとの接触を絶った。

「もう、これで後は問題ないでしょう」

とUは言うのだが、僕にはどうもそうは思えなかった。一度親切な顔を見せたにも関わらず、その後メールや電話を含めた接触を断つ……このことが、Uには何でもないことであっても、Qにとっては「見捨てられた」と思われる可能性が高い、と考えられたからだ。


そして、復活徹夜祭が近付いてきた。復活徹夜祭というのは、世間でも知られている「イースター」(復活祭)の前夜を指すのだが、教会では、このときに洗礼を行うことが多い。僕とUの通っている教会でも、この復活徹夜祭に洗礼が行われることになった。ちなみにこの年の復活祭は4月12日、つまり復活徹夜祭は4月11日であった。

正直、僕に「達磨大師」と言ったQであるから、洗礼なんてそもそも受けられるのか、と疑問に思っていたのだが、どうも最近の要理教育というのは通過儀礼的なものらしく、Qはすんなり受洗が決まったらしい。

「しかし……不安だな」
「何が?」
「いや……中傷めいたことを言われてるんだろう?」

Qは、同じときに受洗する人達や、人当たりの柔らかそうな人達に片っ端から接近し、自分の取り巻きを形成していた。その取り巻き達に、

「Uのせいで、私は非常に傷つけられ、信仰の躓きに陥るところだった」

というようなことを言っているらしい、という噂が、僕やUの情報網から入ってきてきたのだ。しかし、Uは特にそのことを気にする様子はなかった。

「私は何も、神様にも人様にもに顔向けできないようなことはしていないから」

……とは言っても、教会で問題を引き起こすのは、まず100パーセント神様ではなく人間で、しかも人間は頻繁に誤解・曲解というものにとらわれる。

「やはり、注意しておいた方がいいと思うぞ。パーティーとか……」
「いや、パーティーは復活祭のミサの後でしょ。Qが受洗するのはその前夜だし、パーティーなんてないし」
「でもなあ。ほら、S君が、神父様の部屋で皆で持ち寄りパーティーやろうって言ってただろう」
「あれは神父様とS君と私達、あとは神父様の知り合いとかしか来ないでしょうし、それに非公式なんでしょ?」
「あー……Qの要理は誰がやったんだっけ?」
「……あの、神父様、か」
「そう。だから、無理矢理ねじ込んでくるんじゃないか?」
「いや、私達とか居たら顔出せないんじゃない?」

Uはあまり不安を感じていなかったらしい。そして、復活徹夜祭の土曜日がやってきた。
(つづく)

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2009年6月11日 (木)

ある人格障害者とヘタレ教会の記録(中編2)

年が明けた。Uの話では、Qは今年の復活徹夜祭に受洗すべく要理教育を神父様から受けているとのことであったが、僕は例の達磨大師の一件以来、UにはQに対して注意するように警告していた。最初はUもこの話を受け入れ難く思っていたようだったが、QのUに対する行動から、次第にボロが出てきたことに、Uも気づき始めたのである。

「あのさ、やっぱり、おかしいかもしれない」

と、Uから相談の電話を受けたのは、まだ春の気配も薄い頃だったろうか。

「Qに、本を貸したんだけどね」
「本……何を貸したの」
「『沈黙』」

言うまでもないけれど、『沈黙』は、カトリック小説家としての遠藤周作の名声を世界的なものにした重要な小説である。長崎に潜伏して布教活動を続ける宣教師と信者達に与えられる苛烈な弾圧、そして、その被弾圧者達に対して「沈黙」を続ける神。その中に飛び込んだ若き宣教師ロドリゴが、棄教者達の命を救うために踏絵に足を乗せようとしたとき、彼はイエスの声を聞く:

「踏むがよい。お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」

これは僕達カトリックには非常に重い小説である。実はロドリゴが踏絵を踏むくだりの直後に「鶏が遠くで鳴いた」という一節が挿入されていて、僕達はここで、ああ、これは福音書(「マタイ」26章、「マルコ」14章、「ルカ」20章、「ヨハネ」18章、と、全ての福音書に登場する)にある、イエスと共にいたことをペトロが三度否認し、鶏の鳴き声を聞いてイエスの預言を思い出し、己の罪深さに泣き出す場面(これをモチーフとした、カラバッジョやレンブラントの「ペテロの否認」は有名である)に重ねられたものなんだな、と気がつく。ペトロはイエスのいわば一番弟子だった人物である。そのペトロにおいてですら、聖書は人の弱さというものを排除せず克明に記しているのである。

この『沈黙』が発表されたとき、「聖職者に簡単に踏絵を踏ませるとはなんたることか」などという批判があったらしい。しかし、カトリック、いや、カトリックでなくとも、クリスチャンであるならば、皆知らなければならないのだ。イエスが捕縛されたとき、弟子達は皆イエスを見捨ててその場を逃げ出したことを。遠藤は、この小説の登場人物の中で一番裏切り、迷い、そして弱い存在であるキチジローに己を重ねてこの小説を書いたと言われている。遠藤も、そして彼の筆によるロドリゴも、そして神も、苦しみを等しく負っていたことが、この小説においては、実に率直に表明されている。

まあ、そういう重い小説であるが故に、この『沈黙」は、1966年の発表当初には相当の批判を受けた。しかし、同じく作家であり、カトリック思想においても大家として知られるグレアム・グリーンが遠藤を「20世紀最大のキリスト教文学者」として高く評価し、バチカンも遠藤に聖シルベストロ教皇騎士団勲章を与えている。そして、かの有名な映画監督であるマーチン・スコセッシが晩年の遠藤に交渉し、二十年の月日で温め、現在制作している最新作がこの『沈黙』なのである。

僕にとってあまりに個人的な思い入れが深い(中学のときに親父の本棚から初版本を借りてきて読んだのだが、しんどくてしんどくて、何度も中断しながら読んだことを懐かしく思い出す)ので、ついつい長く書いてしまったけれど、『沈黙』というのはそういう本だ。

……話を戻そう。僕はUに言った。

「……また重いものを貸したね。でも、Qに果たしてあの小説が理解できるんだろうか」

この問いに、Uは驚くべき答を聞かせてくれたのである。

「いや……無理、じゃないかな」
「え。どういうことよ」
「あのね……」

と、Uは言いづらそうに状況を説明した。まず、『沈黙』が驚くべき早い日数(2、3日だったらしい)で手元に返ってきたこと。そして、その本には、例によって例のごとく、膨大な数の付箋が挿入されていたこと。

「付箋?あの本は、そんなパーツひとつひとつを拾い上げて読むような本じゃないだろ?」
「いや、こっちにそう言われてもねぇ……とにかく、Qから返ってきたとき、本はそういう状態だったのね」
「うーん……」
「で、本を受け取ったのが教会の新年祝賀会の最中だったんだけど、Qがね、『是非感動したところを分かち合いたい』って言って、付箋を引いては、ここがこうだった、そこはこうだった……って始めて、ね」
「新年祝賀会って、成人式のパーティーみたいな、あれだろ?その中で?」
「そう。ここはそういうことをする場所じゃないでしょ、と言っても、糠に釘、みたいな感じで、結局こちらから距離を取るしかなかった」

そしてUは、祝賀会の終了後、Qにメールでやんわりと付箋の件を注意したのだという。他人から借りた本は現状のままで返すのが筋なんじゃないですかね?と。

「そうしたらさ、なんて返事が返ってきたと思う?」
「さあ」
「『付箋をつけた部分は私が感じた部分で、それをUさんと分かち合いたいと思ったから、折角付けたままで返したのに……』だって」
「……はあ」
「一応、こちらは堅信まで受けているし、ましてやこの『沈黙』には、色々思い入れもあるわけ。今更、ろくに要理の内容も理解していない求道者の膨大な付箋で、Qの放浪の軌跡を追う必要なんて、これっぽっちもないわけじゃない」

いや、まさにその通りだ。僕もそう思う。そう言おうと思ったら、Uはこう続けた。

「ホームレス支援とかで、どこかに余っている物資を必要なところに回す手伝いをしたい、って言ってたこと、覚えてるよね?」
「ああ。実際やってるんでしょ?」
「うん。でさ、最初Qが『一緒にやろう』と言うので、近い距離で色々やり取りをしていたんだけど、あの人、何ていうのかなあ……一つの目的とか、理念とか、そういうものに従って何かする、というのが、どうもできないんだよね」
「……具体的に言うと?」
「そうだなあ……地面に、たくさん荷物が置いてあって、どこかに仕舞おうとしているとするでしょ。そういうときに、Qは、ひとつの荷物をちょっと動かして、そしたら離れたところの他の荷物をちょっと動かして……で、全然荷物全体が収納されない、そんな感じ」

要するに、何か行為を為す、ということではなく、何か行為を為そうとしていると取り繕うことしかできない、ということだろうか。その手の人物は、大概、他者に、自分が善行を為そうとしている、とアピールすることが目的で、その善行の行方はどうでもいい、なんてことが多くて……という話をすると、Uは、

「そんな感じだね……まあ、実のところ、本を貸す前に、ちょっと決定的なことがあったんだよね」
「ん。何があったの」
「教会関係の団体の新年会があったときに、Qと一緒になったんだけどね。そのときに、Qが皆の前で私にこう言ったんだよ:

『どうして Thomas なんかと仲良くしているのか分からない。Uさんには他にもいい人が一杯いるはずなのに、Thomas なんかと一緒にいるなんて、もったいない!』

って」

あー。ついに尻尾が出たなあ。僕がこれを聞いたときの感想はまずそれだった。自分が目をつけた人物を独占するために、他者との関係性をコントロールしようとする。これはいわゆるパーソナリティ障害、特に「境界型」などの人にみられる典型的な問題行動だからだ。
(つづく)

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2009年6月 8日 (月)

ある人格障害者とヘタレ教会の記録(中編1)

さて、では本論に入ることにしよう。

事は昨年の末に遡る。僕と連れのUが籍を置いている教会で、Uがこんな話を聞いてきた。この教会では、難民保護などの活動を行っている神父様がいるのだが、彼が身元保証人になっている人のひとりで、ブルンジから来日してオーバーステイになっている人の誕生日が近いので、その人の壮行会を兼ねて誕生会をしよう、というのである。

ブルンジ、と言っても、ぴんとこないかもしれない。では、ルワンダの隣国、と聞いたらどうだろうか。旧宗主国が植民地の原住民の団結を防ぐためにでっちあげた、いい加減な二つの民族、フツとツチ。双方ともにそのほとんどがカトリックであるにも関わらず、ラジオ放送などでアジテイトされたフツの民衆は、アジテイターがばらまいたマシェート(自動車の板バネなどで作った粗製の山刀)を手に、ツチに対して暴行/強姦(いわゆる民族浄化)/虐殺の限りを尽くした。これが世に言うルワンダ虐殺であるが、これは民族構成が似ている隣国のブルンジにも波及した。

上記のブルンジ人は、ここに書き難い程の修羅場をくぐり抜けて、ようやく日本に逃げ延びたのだが、この日本という国はこの人を難民と認定しようとしなかった。フランス語が母語であるこの人は、カナダへの亡命を希望しているのだが、なかなかその交渉は進まない。しかし、せっかくの誕生日なら、何としてでも祝わなければなるまい。僕とUは即座に出席することを決めた。

で、身元引き受け人になっている神父氏の仕事部屋を訪ねたとき……それが、問題人物Qとの最初の出会いであった。Qは見たところ、一所懸命にパーティーの準備をしている様子だったので、最初は僕も何も問題を感じなかった。

UとQは親しくなったようだった。あるときの主日のミサの後、僕はUと共に神父氏の部屋を再び訪れた。何故か分からないが、Qはまるで秘書のように僕たちを出迎えた。聞くと、実際に秘書のようにこの部屋に常駐しているというのである。

僕は訝しく思った。教会というところ、特にカトリックのそれにおいて、しばしば問題になるのが性的なスキャンダルである。これを避けるために、例えば神父のところに女性の来客があったとき、多くの場合、居室のドアを開放した状態で応対する。密室でのトラブルを防止するための一策というわけだ。

Qは女性である。しかも独身の女性である。一応神父の執務室のドアには透明なガラスの窓が設置してあるのだが、しかし毎日、しかもほぼ一日中、というのは、あまりに奇異な話に思えた。

Qの今までの状況に関しては、Uを経由してある程度のことは聞いていた。なんでもQは、子供の頃から実父による絶え間ない虐待にあい、実家を逃げ出して、人生の「裏街道」を歩いてきたのだ、という。この話を聞いた段階で、僕はQに対して、あることを警戒するようになった。そして、不幸なことに、僕の予想は当たってしまったのだ。

Qはいわゆる求道者であった。教会との運命的な出会い、そして今の自分がいかに幸福であるか……といった話(まあ大抵この手の話を人にぺらぺら話すうちは、地に足がついていないものなのだけど)を聞かされた後、Qは僕に洗礼名を問うた。僕は例によって「『疑り深い』トマスです」と答えたのだが、それを聞いたQは、間髪を置かずにこう言ったのだ。

「ああ、達磨大師ね」

???僕は最初、「何を言ってるんだ?」と思ったが……あー、この人アカンわ、というのが、率直な印象であった。この人、聖書もろくに読まないうちに外典を読んでるに違いない。

そもそも使徒トマスという人が、キリストの昇天後にどうなったか、聖書には詳細な記述はない。しかし、カトリックにおいては、新約聖書を構成する「正典」に加えて、それに付随するいくつかの文書を外典として定めている。その外典、この場合は14世紀のトリエント公会議で新約聖書の「正典」とされなかった文書ということだが、その中には、トマスの名を冠した文書がいくつか存在する。最も有名なのが「トマス行伝」と「トマスによる福音書」であるが、前者はトマスが南アジアを経てインドまで布教に赴いた、という内容で、実際にインドには「トマス派」を自称する正教の一派が存在している。後者は、そのトマス派によって書かれたものとされているが、内容にはグノーシス主義の影響が色濃く反映されており、カトリックの成立に関わる歴史を知らない者がそのまま読むべきではないものとされている。

「トマス行伝」の中には、当時実際に存在したことが歴史的に証明されているインドの王の名が登場することから、キリスト教のインドへの接触/定着を説明する上での意義は大きい。しかし、聖書全体を信仰という切り口から見る限りにおいて、これはある意味「付録御伽草子」的なものに過ぎない。

トマスは、この行伝などの記述によると、南インドで布教中に殉教したことになっている。これはアジアでの勝手な伝承に過ぎないのではないかと思うのだけど、そのトマスと、南インドの王の子として生まれたとされる達磨大師とをオーヴァーラップさせて……云々、という話を、確かに聞いたことがないわけでもない。しかし、これはあたかも「源義経=チンギス・ハーン」説などと同じ類の話に過ぎない。

トマスのカトリックの信仰における存在意義というのは、前回書いた通りなのだけど、それを知らないで外典を読んだり、内容に関して人に聞いたりすると、このようなことになる。やれやれ……と思いつつ、僕はQに「それは外典の話だから、トマスに関してどうこう言うならまず正典の福音書を読んでからにしてほしい」と言った。

しかしQは、それでも「達磨」「達磨」と言って止めようとしない。ああ……やっぱり予想は当たっているのだろうか、と僕が考えている間に、Qは「達磨」に飽きたのだろう。最近読んだ教理に関する本を、ぜひ僕に読んで欲しい、と、一冊の薄い本を僕に押し付ける。その手の本は自分で必要に応じて探して読むので要らない、と言っても、まるで聞き入れようとしない。そもそも、その本は求道者向けに書かれたもので、僕自身は必要を感じない限り、他者に読め読めなどと干渉されるようなものではなかったのだ。

しかし、Qはあまりにしつこかった。僕はやむなくその本を受け取ったのだが、本が倍程の厚さになるんじゃないだろうか、という程に付箋が貼られている。しかもこのQ、「付箋のところは大切だからぜひ読んで下さい」と、こう宣うた。「釈迦に説法」と言うには不遜だとは思うけれど、大学生に小学生が理科の教科書を押し売りするようなものであろう。

で、その本を借りたのだけど、僕もそう暇ではないので、一応さらりと一読して、そのまま部屋に放置してあった。教会に行くときにも、ついつい持っていくのを忘れてしまう。そして2週間程経った頃だろうか。

Uから電話があった。

「Qさんが、『あの本を早く返して欲しい』って言ってたよ」
「ああ、ついつい忘れちゃうんだよな。でも、そんなに急ぎなのかな」
「なんかね、『次に貸す人が何人もいるので困る』とかなんとか言ってたね」
「はぁ」
「でもねぇ……変なんだよねぇ」

と、Uがふと漏らした。

「変、って、何が?」
「うん、あの本なんだけど、Qさんの所有物じゃないらしいんだよね」
「?じゃあ誰の?」
「神父様の」
「じゃあ……神父様の本を、あたかも私物のように貸し出しているってこと?」
「……みたいだね」

どうも、僕の疑念はますます確信に近づいていくようだった。そして、この後、それは意外と早くに確信へと変わってしまったのだった。
(つづく)

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